2004年 08月 07日 ( 1 )
原爆とサッカーから~これは日本人の業なのか?
今日は広島原爆関連の番組がたくさんだった。
たくさんの悲惨なエピソードが語られ、アメリカ軍が調査のために撮ったと言われる写真や映像が流れ、被爆者による唄や絵が流された。
アメリカ軍は復興をほとんど手伝わなかった。調査のための医師や研究者は送っても、彼らはただ患者を調べあげ、笑顔さえ浮かべて現地を見た者もいた。
そうしたフィルムに収められていた、驚くべきスピードの復興は、広島の人々の悔しさや生きる力でなされたものだった。
「平和学」を学ぶものとして、戦争には触れてきたし、学問としてのアプローチもたくさん行ってきたつもりだった。しかし、実際の生々しさは、どんな理論も机上の空論へ貶めてしまうほどの重みがあるとおもう。
溶けていく皮膚、粉となる遺骨、川に浮ぶ人々、遺族の悲しみ、終わらない痛み・・・
これに触れても「手段としての原爆は必要だ」と声をあげられる人がいたら、人間失格だ。

しかし、この話題を親友の台湾の友人と話したとき、彼女はとても言いづらそうに「でもそれは日本人がたくさんの中国人を殺した業だと思ってしまう」「アメリカはああするより他に日本を止められなかった」と語った・・・。
彼女はけして反日的な考えを持っているわけではない。だからこそ、日本が占領したアジアの国々に残る戦争の傷痕を垣間見た気がする。ヒロシマは同情の対象にすらならないのか、という現実に愕然とした。

これにあわせて、先日から話題になっている、アジアカップでの中国人サポーターの態度について、述べておく。これまであまり触れてこなかったが、私はサッカーでの日本への野次はただしいとは思わない。あそこに集まる日本人も選手たちも純粋にスポーツを楽しみにしているだけで、戦争責任を引き受けているわけではない。
それなのに、そもそも戦争を知らない世代どうしでなぜこのような争いが生まれるのだろう。ひとつには中共が長年続けてきたおのれの存在意義を固める為の半日教育のせいだともいえる。物心つく前から「鬼子(日本人のこと)」と呼ばせてきた日本相手に、今更「日本となかよく」などと言ってもしらじらしい。ただし、日本によって傷つけらたひとたちの許しがたい怒りもないとはいえないだろう。

受けた傷の痛みは簡単には消えない。怒りは火種を注ぎ続ける限り冷めない。
被害者であり、加害者であると言う、複雑な日本のhistory。
彼女の「歴史は歴史、友達は友達。私はMakiが好きだから」という言葉がなぜだか切なかった。
歴史は歴史、、、でも、本当は核の恐怖は増大するばかりで、世界のあちこちで戦争はやまない。現在進行形で悲劇は続いているのだ。

戦争や兵器を厭いながら、それでもアメリカに守られなければ、武器を持ち続けなければ自国を守れない、ちいさなふたつの島国に生きる私たちは、ささやかに平和を祈る。
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by suzumecco | 2004-08-07 01:54 | news